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空海:三筆と呼ばれた書の名人
三筆と呼ばれた書の名人
「弘法(こうぼう)も筆のあやまり」「弘法筆を選ばず」などのことわざがあるように、
弘法大師、空海は書の名人として有名です。
同時代の嵯峨天皇(さがてんのう)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に「三筆」(さんぴつ)と呼ばれるすぐれた書道家でした。
左右の手足と口に5本の筆を持って一度に5行を書いて、「五筆和尚」(ごひつわじょう)と呼ばれたという伝説ものこっています。
またある時、京の平安京(へいあんきょう)の応天門(おうてんもん)の額に字を書くよう天皇に命じられました。ところが、額を掲げてみたところ、応の字の一番上の点がひとつ足りませんでした。そこで空海は筆を投げつけて点を打ったといわれています。この話から「弘法も筆のあやまり」ということわざが生まれました。

遣唐使(けんとうし)として行った中国から帰ったとき、筆のつくりかたもおぼえて持ち帰ったと伝えられています。
現存する空海の書は国宝(こくほう)に指定されています。


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