平安時代には大学寮(だいがくりょう)という学校がありましたが、それは役人になる勉強をするために貴族のこどもたちが行くところでした。勉強がしたくても身分がひくかったり、お金がない者は学校へは入れませんでした。
そこで空海は身分にかんけいなく、学びたい人が勉強できる学校を作りました。
これは日本でいちばん古い私立学校(しりつがっこう)でした。学生が勉強に集中できるようにお金はとらず、まずしいものには食事まであたえました。
学校の名前は「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)といいます。
綜芸(しゅげい)とはあらゆる学問という意味で、儒学、仏教、道教、法律、工学、医学、天文学、音楽など現在の大学のようにはばひろい教育をめざしていました。お金のもんだいなどから長くはつづきませんでしたが、そのころの人にとっては、いままでにないあたらしい学校でした。