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空海:土木事業
土木事業で人々を助ける
空海は唐(とう:中国)で仏教だけでなく、あたらしいの土木技術のやり方も習ってきていました。
日本に帰った空海は821年ふるさとである讃岐(さぬき)の満濃池(まんのういけ)をなおしてほしいとたのまれます。
満濃池は畑でつかう水のための大きなため池でしたが、大雨のたびに堤(つつみ:水があふれないように土をもりあげたところ)がこわれて水があふれて、ふもとの人々は困っていました。
空海のもとに、たくさんの人々があつまり、大工事がはじまりました。
空海は堤の形をアーチ型にして水の力がひとつのところにかからないようにしたり、あまった水を外に流す道をつくるなど、そのころとしては、いちばん新しいやりかたで工事をすすめました。
空海のために働こうとあつまった人が多かったため、この大工事もわずか3ヶ月というみじかい時間でみごとにできあがりました。
満濃池はいまも日本でいちばん大きな農業用水のため池として利用されています。

また空海はいまの神戸港(こうべこう)のもとになった、大輪田泊(おおわだのとまり)の港をなおす工事もおこない、成功させたといわれています。


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