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空海:少年時代 真魚
こどものころ~修行時代
空海は774年6月15日、讃岐の国(さぬきのくに)(現在の香川県)に生まれました。
父はこの地の豪族(ごうぞく:その土地で力をもつ一族)で、おじさんは学者でした。こどものころの名前は真魚(まお)といいました。
小さいころから信心深く、土で仏像を作って遊んでいたといいます。また、とてもかしこくすぐれており、ひとびとから「貴物(とうともの)」とよばれるほどでした。真魚は勉強にはげみ、国学(こくがく:豪族のこどもたちが勉強する学校)をすばらしい成績で卒業しました。そして大学(朝廷の役人を養成するための学校)へ入るため、15歳で都へ上がります。ゆくゆくは都の役人としてえらくなる道を歩むはずでした。
そのころは桓武天皇(かんむてんのう)が都を奈良の平城京(へいじょうきょう)から京都の長岡京(ながおかきょう)にうつそうとしていたときでした。またこのころにひどい水害もありました。人々は都つくりのためのしごとと災害によって苦しんでいました。その姿を見た真魚はえらくなるために大学の勉強をつづけることに、うたがいを持つようになりました。そんな時、真魚は一人の出家(しゅっけ)した人に出会い、仏教こそが人々を救うものだとかたく信じるようになりました。真魚は大学をやめ、出家し、きびしい修行(しゅぎょう)の道へ入ったのです。
真魚は「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」という修行をおこないました。これは真言(しんごん)を百万回唱えれば、記憶力が良くなり、あらゆるお経の意味を暗記できるという修行です。真言とは仏さまが説いた真実のことばという意味です。 真魚が高知県室戸岬(むろとみさき)にある御蔵洞(みくろどう)というほらあなでこの修行をなしとげたとき、明けの明星(あけのみょうじょう:金星)が口のに飛び込んできて、悟り(さとり)をひらいたといわれています。
このときから、真魚は「空海(くうかい)」と名のるようになりました。

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